1.向島城とは
・豊臣秀吉が伏見城(指月城)の支城、月見の城として築城された。
・巨椋池(おぐらいけ)に浮かぶ水城で、月見用の城として築いた城。
・文禄元年(1592年)~3年(1595年)辺りに築城と言われている。
・文禄5年閏7月13日(1596年9月5日)慶長伏見大地震で伏見城が倒壊後、秀吉はこの城に入り、木幡山にあらたに伏見城が完成するまで仮の居城とした。
・秀吉の没後には徳川家康の一時的な居城となった。
・秀吉死後、石田光成が徳川家康と対立が深まると加藤清正から逃れるため、一時この城に逃れていた。
・「関ケ原の戦い」後に伏見城が家康により再建されるとともに廃城
・その廃材は東本願寺伏見別院の建立に寄付された。
・現在城址は宅地化のため遺構は残っていないが、「本丸町」「二ノ丸町」といった地名に名残がみられる。
2.写真
・本丸跡
・向島城碑
・三の丸碑 34.92063321543009, 135.77161687799347
3.上記を含む周辺の記念碑
4.観光
このあたりは観光スポットは皆無
来るなら伏見桃山周辺の観光と合わせるのをお勧めする。
・御香宮神社
・指月城(指月伏見城)跡
・月桂冠
・黄桜
・十石船
・寺田屋
★参考サイト
・伏見城跡・指月城跡、向島城跡 | 京都府教育委員会 文化財保護課
・京都市伏見区役所:伏見区の歴史 : 安土桃山時代 秀吉が開いた城下町
・豊臣秀吉が築いた「伏見城」と伏見の街 ~ 桂・伏見 | このまちアーカイブス | 不動産購入・不動産売却なら三井住友トラスト不動産
・向島城のフィールドワーク記録:高低差で遺構確認 - 京都高低差崖会
・豊臣秀吉の造った向島城(むかいじまじょう)について書かれた資料を知りたい。 | レファレンス協同データベース
★履歴
2022/3/1 作成